商品詳細

現代語訳 申楽談儀

世阿弥からのメッセージ

著者/出演者 観世 元能(著) 水野 聡(訳)
出版 檜書店
在庫 有り
価格 1,728円(本体1,600円 + 消費税128円)

物販商品

商品説明

檜書店最新刊は待望の『申楽談儀』現代語訳。


世阿弥生誕六五〇年記念出版!
世阿弥が息子・元能に伝えた最奥の相伝書、『申楽談儀』待望の現代語訳。

姉妹本『世阿弥のことば一〇〇選』はこちら

レビュー

『現代語訳 申楽談儀』を読んで

「申楽談儀」は手軽に読むことができなかった伝書である。世阿弥生誕650年記念として、「世阿弥からのメッセージ」という副題と、500近くの注を付けて現代語訳された。

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表紙カバーに描かれた舞姿のイラストとタイトルの字体にはユーモラスな雰囲気がある。この本を手に取って開くと、帯と裏表紙が和紙調の東雲色の紙で揃えられているのが見え、落ち着きと格を感じさせる。軽さと重さ、読者の心を惹く工夫が装丁にもなされている。

 

「申楽談儀」本文には、稽古、演能、作能などに関わる重要なポイントが、いくつもの作品に言及しながら記されている。

舞と謡を順序立てて稽古し、舞台経験を重ねて芸を磨く、詞章をよく理解することで動きがついてくる、地謡は自己の本分を守って声を合わせる、揚幕の内側は観客から見えないようにする、観客が聞いてわかる古典や古歌の言葉が作品のキーワードとなる、などを始めとして具体的な記述が続く。師の講ずるところを書きとめたメモ・ノートである。当時の時代状況や一座の人間関係を窺わせる記述もある。

文字で記されたものが当事者の手を離れ、時代を超えて読まれるとき、読む人の経験や能力によって、その意味することが現前する度合いや深さが変わる。理解できなかったことは、現在の自分にはまだ手の届かないものであったのかもしれない。一読して、わからないと感じたとしても、書かれた言葉は頭に入れておくことができる。そうして研鑽を積んで、自分の実感が記憶の中の言葉に結びついて行く楽しみを味わえるだろう。

能は、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。世界の中の日本文化として、その価値を誇り得る伝統芸能である。しかし、現代日本の一般大衆の日常に親しまれているとは言い難い現実もある。この現状を変える力を作り出すことを本書に期待したい。

能は、自然よりも人間が中心である。現代の私たちにも生きる力を与えてくれる。

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(松井 貴子 様)
時空を超えて響く世阿弥の息づかい

世阿弥の著作を原文で読むことは、なかなかに難しい。能楽に親しむ者として、何とか取り組もう試みたが、それは『風姿花伝』の一冊に止まる。それも、内容を理解してと言うレヴェルではなく、無理やり読み通したと言う、何とも暴力的な読書法で…。

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世阿弥の誕生650年を記念して刊行されたのが、現代語訳『申楽談儀』。心躍らせて手に取った。

A5版で190ページほどの、穏やかな桃色を基調にした装丁のコンパクトな本。しかし読み始めると、その柔らかなイメージは一変する。

本書は、世阿弥の21種の伝書のうち、息子の元能の手による唯一の聞き書き集。多岐にわたる具体的かつ率直な世阿弥のもの言いは、水野聡氏の果敢な現代語訳によって生き生きと甦る。それを500に近い注釈と表きよし氏の解説が緻密に支えて、揺籃期の能楽の実相をつぶさに伝える。

すでに演じられない廃曲や散佚曲が思いがけず多いこと。当時の勧進能の舞台が格闘技のリングのように場の中心あって、四方に開けた空間で公演されたこと。などなど。

今日の能楽と通底しながらも、より自由闊達な情況であったことに新鮮な驚きを禁じ得ない。

何より強く心に響くのは、「奥書」である。

足利義教の治世となり、世阿弥一門への排除と弾圧が既に始まった永享2年(1430)。「奥書」は、こんな文章で始まる。

「右、三十一か条、…(中略)…心の中だけは固く教えを守りぬいた証としてこれを認めました。ご一覧の上、火中に投じて下さるよう…」。この一書を父へ残して元能は出家し、再び能楽に戻ることはなかった。

その2年後、もう一人の息子、元雅が非業の死を遂げ、さらに2年後、世阿弥自身の佐渡への配流と続く。世阿弥一門の抹殺の手始めとして、仏門に入るという、生きながら死ぬことを強いられた元能の、全身全霊での遺言。高い芸術性を擁する世阿弥の能楽を、是が非でも後世に残したいという、執念にも似た思いで綴られ、世阿弥に献呈された書とみることは、あながち的はずれではあるまい。

人類史の大きな足跡を残す、真に独創的な人物には、身近に親しく寄り添ってその言行を書き留める人がいる。世阿弥に元能がいたように、世阿弥が真摯に打ち込んだ禅においても、鎌倉時代初期に道元(どうげん)という傑出した禅僧を輩出した。『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』という、(誤解を恐れずに言えば)根源に迫る存在論を著した道元の身近には、懐奘(えじょう)が付き従って、道元の禅への導きとなる『正法眼蔵随聞記(ずいもんき)』を遺した。世阿弥の能の実際を知る強力な手立てとなる、本書のように。

世阿弥の墓は曹洞宗の寺院に現存する(能楽大辞典)。曹洞宗の開祖である道元の禅に、世阿弥が親しんだであろうことは、想像にかたくない。道元の禅とは、只管打坐(しかんたざ)の禅。何の意義や条件を求めずただひたすらに坐禅を実践すること。その坐禅自体が身心脱落(しんじんだつらく)、すなわち身も心も一切の束縛から離脱して大悟の境界に至ることに他ならない。

想像を逞しくして、世阿弥も存在の根底にこの禅を据えていたのではないか。それ故に、後半生の極めて理不尽で過酷な日々も、どこか超然と能の深みを追求し続けたのではないか。

『申楽談儀』には、こんな印象的な一文があった。

「静かな夜、父世阿弥が謡う<砧>を聞いた。『かような能の味わいを、後の世にも知る人はあるまい。書き残すのも億劫に覚える』と(世阿弥が)語った。『なぜにといえば、無上・無味に達した曲はもはや味わうことなどできぬから。この深さを筆に留めようとと思っても言葉は見当たらぬ。…』」

世阿弥の能楽は、道元禅の只管打坐と身心脱落の実践そのものだったのでは。そんな(妄想にも似た)思いが去来する、味わい深く忘れがたい一書であった。

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(阿部 未知世 様)

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