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能舞台巡りの旅

ひろしま見所の会 亀川

能舞台のある旅館めぐり

日本全国に、能舞台を持った格式高い旅館が数多あることをご存知だろうか?

この3月末、降りしきる雪の中を3泊4日の北陸旅行に出かけた。宿に着くと、白足袋に履き替えて舞台に立たせてもらい、足拍子を踏んだり小謡を謡ったりした。泊まった旅館は和倉温泉加賀屋、金沢深谷温泉石屋、山中温泉よしのや依緑園の3軒。石川は加賀宝生の土地柄、3軒も揃う県は他にない。

この酔狂な旅は03年8月に始め、足掛け3年で全8軒に泊ったことになる。他の5軒を泊まった順に記すと、03年8月岐阜下呂温泉水明館、長野昼神温泉石苔亭いしだ、静岡修善寺温泉あさば、渋谷のセルリアンタワーホテル、05年7月愛媛道後温泉大和屋本店。

旅館の能舞台は、一般の能楽堂と同じように2タイプ。舞台は庭・見所は座敷というのと、舞台も見所も屋内である。屋外舞台は修善寺あさば、金沢石屋、道後大和屋の3軒だけ。真冬と真夏は厳しいが、私はこちらの方が好きだ。

宿代を気にしなければ、延宝3年(1675年)創業のあさば旅館が良い。100年前に深川富岡八幡宮から移築された、座敷やテラスから池越しに見る能舞台「あさば月桂殿」は群を抜いている。年4・5回の定期能や狂言会のために手入れが行き届いているし、後方の竹林や鬱蒼とした樹木、夕方ともされる吊り灯篭も風情があって、世俗を忘れさせてくれる。七代目浅羽保右衛門氏は宝生流だったそうだが、八代目は観世友資師、十代目を継ぐ一秀専務は学生時代から観世暁夫(現銕之丞)師にと、その長い入れ込みぶりは目を瞠る。

寛政元年(1789年)創業の石屋は、七代目社長が大正6年(1917年)に設えたそうだから90年になる。宝生の派手さを嫌った素朴な造りである。用材のくさまき(能登檜)は水に強く、雪深い山奥の舞台に相応しい。普段は雨戸も閉めないため、すぐ側の山に棲む狸が舞台を走り回って腹鼓を打つらしい。泊まった日も、足跡がいくつかついていた。ここは、先に出来た室内の稽古舞台があり、力の入れようが半端でないことが分かる。現在、石屋九代目誠一氏は宝生流佐野由於師に師事。金沢市内から約10kmの、野中の一軒家のような宿には珍しい褐色の温泉が湧き出て、前田の殿様同様ゆったりした気分が味わえる。

明治元年(1868年)創業の大和屋本店は、10年前の96年、改築に合わせて4階の屋上に能舞台「千寿殿」を設えている。松山は高浜虚子の兄、能楽研究家池内信嘉氏の出身地だけに、能楽を地域の伝統文化にと思う気風が強い。喜多流金子匡一師に師事する奥村武久社長は、それを意識して造られたようだ。毎日、宿泊客に能楽体験サービスを熱心に行っている。

残りの五軒は、屋内の能舞台である。最新は、01年5月セルリアンタワーホテル地下2階にできた能楽堂。隣り合わせの料亭金田中の座敷から観ることもできる、200席ばかりのこじんまりした良い舞台であり、唯一のシティホテル能舞台である。着物を着た人々が行き交う大人の街にしたいと考えた、東急のまちづくり構想の目玉になっている。ここの浦潔館長は、金剛流の豊嶋三千春師に習っておられる。

昭和7年(1932年)創業の下呂温泉水明館は、60周年の91年に新館を増築した際、1階「石橋の間」に舞台を設えている。三代目滝多賀男社長のご母堂が観世流関根祥六師に師事していて、下呂の謡曲の会を主宰しておられた関係のようだ。00年頃までは年2回「水明館能」が催されていたが、今は各流派のお素人の会に使われたり、落語名人会や結婚式にも活用しているとのこと。庭に面した幅広のガラスを電動で動かせるのが自慢で、気候の良い時は薪能風にすることもできる。

昼神温泉石苔亭いしだは、2年前のテレビドラマ「温泉にいこう」のタイトルバックに出ていたから、ご記憶の方も多いだろう。中央道園原IC近くにあるこの宿は、昭和59年(1984年)創業と新しいが、4年後の88年、湯治旅館から今の純和風旅館に建替える際に能舞台「紫宸殿」を設けている。石田小夜子女将が観世流浅見重好師に習っていて、能「木賊」に出てくるご当地、園原に相応しいものということだった。大手門のような門をくぐり、玄関に入ると目の前に能舞台があって吃驚する。橋掛と3間四方の奥行が少し短いのが惜しい。柿落しは先代観世左近宗家が務められ、その後も春秋2回「いしだ能」があったが、ここも01年に中止になった。逸見貴子若女将のご亭主が京都の大蔵流茂山千三郎師に稽古に通われたせいか、最近は狂言会が定例になっているようだ。

明治39年(1906年)創業の和倉温泉加賀屋は、今年が100周年。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で連続25年1位を誇る、天皇・皇后が何度も泊まられた宿である。規模の大きさやからくり仕掛け、料理や調度、仲居さん達の接遇の素晴らしさには驚くが、こと能舞台に限っては物足りない。舞台構造を知らない設計者に任せたものと思われる。橋掛は1間、鏡の間や楽屋もないため、演能には向かない。空調設備の影響らしいが実に惜しいことである。目付柱や脇柱は取り外しができ、声の反響も良いので謡や仕舞は可能である。

最後は、山中温泉よしのや依緑園。この旅館は、何と建久元年(1190年)創業であり、800年以上が経つ。昭和42年(1967年)、宝生流を習っていた二十五代目社長が、8階建ての長生殿を建てる時、反対を押し切って最上階に能舞台「長生殿」と正面に見所を兼ねた大宴会場を設えている。当時、旅館の屋内能舞台は日本初であり、00年頃まで年3・4回、泊り客向けにプロの演能が行われていたそうである。二十六代目社長は宝生流山田太佐久師のお弟子であるが、今は、大阪音楽大学出身の元ミスユニバース、中曽根有希若女将がクラリネットリサイタル等に使用しているとのこと。淋しい話しである。

以上、加賀屋を除いて、誰かが習っていて造ったか、舞台があるから習っているという旅館ばかり。これからも大切に維持して欲しいと思うが、現在教えておられる先生やお弟子には、このような旅館に泊まって舞台を活用していただきたいと思う。いずれも部屋や料理、露天風呂、仲居さん達は素晴らしいの一語。謡い終わった後も、楽しめること請け合いである。

亀川 幸郎

昭和18年東京・高円寺生まれ(62歳)。昭和20年原爆死した祖父が喜多流粟谷益二郎師に師事していた影響で、昭和39年大学クラブ(慶応観世会)に入部。以来40数年お能を観続け、能楽の衰退を危惧して00年9月、流派を超えて広島での演能を応援する「ひろしま見所の会」を設立。03年「サダコ」や05年「原爆忌」も含め、県内各地に会員と繰り込んでいる。

平成16年12月号「観世」に観世流演能記録を寄稿。

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