商品詳細

伝統芸能ことば蔵一〇〇

著者/出演者 村 尚也(著)
判型 四六判
ページ数 224
在庫 有り
価格 1,980円(本体1,800円 + 消費税180円)

物販商品

商品説明

☆著者・村尚也氏のkindle版書籍がAmazon売れ筋ランキング第1位☆


ことばで舞い、ことばで踊る!

能、歌舞伎、日本舞踊など様々な古典芸能に関わる著者が、古語から現代語まで、自由自在に語り尽くす100編のエッセー+ミニコラム5編。


【著者】
村 尚也(ムラナオヤ)
日本舞踊集団「おどりの空間」を主宰。
日本舞踊や能、歌舞伎の演出、振付、執筆、講演を行う。
主な著書に『踊るヒント見るヒント』『しぐさに隠された日本人の心』『まんがで楽しむ能の名曲70番』『まんがで楽しむ狂言ベスト70番』。

【檜書店YouTubeチャンネル】
書籍紹介しています。
村尚也氏のミニレクチャー+コメント付きです。
https://youtu.be/HFDwumZN9UI

レビュー

村さんのお蔵は無尽蔵~村尚也著『伝統芸能ことば蔵一〇〇』を読む

時折、能にかかわる文章の著者として登場する村尚也さん。

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日本舞踊の踊り手にして、ジャンルを超えてエネルギッシュに活動している。そんな村さんをよく知りたいと、この本を手にした。のだが…すぐに後悔に苛まれる。

B5版200ページ強の中に、<ことば>を題材とした100の短いエッセイと、数編のコラムが綴られた<伝統芸能ことば蔵一〇〇>。後悔の根源は余りに多彩な<ことば>からか。背後に横たわる知識の膨大さからか。

いや、それとは違う。滑らかなものを捕まえきれない、内部に入り込めないもどかしさ。当たりはとても柔らかなのだが…。

苦闘するうちに、幾つかの決定的な文章に出会う。

誤解を恐れずに要約すれば、そこには日本の伝統芸能の、特異な相貌が浮かび上がる。それは、音楽を舞い踊るのではない。言葉を舞うのである。音楽性を纏って強い呪力を発しながら。右脳の音楽、左脳の言語。それを同時に働かせる稀有な身体の躍動に、美しさを求める事は無用。ひたすらそれを愛すれば、自ずと向こうからその本来の姿を現す。長い時間の蓄積によって熟成されたその姿を(ことば蔵の小窓⑤・100.言葉と踊りが色づくということ)。

その祈りとしての芸能は、背中合わせの存在する神聖さと卑俗さが共に息づくことで、初めてエネルギーとなるのだ(1.翁と三番叟の表裏)。

さらに奔放にイメージを展開すれば、生と死とエロスが融合した原初のエネルギーの坩堝(るつぼ)。その場に降り立ち、言葉と身体を一体化して、言霊の躍動を体現する。その現象が時間の中で息づくのが、日本の芸能であり芸術。それは神や仏、無限の宇宙に通じるエネルギーなのだ。

村さんはまさに<ことば>それ自体。<ことば>とは、頭脳からではなく身体を通して発せられるより感覚的なもの。<ことば>の直撃は、心身に深く響く。

やたらと饒舌に膨大な言葉を吐き散らし、後にはただ虚しさだけが漂う、今日のあの人やこの人の対極にいる存在。そして<ことば>による心身の復権を、したたかにしなやかに画策している…。

ようやく瓢箪で鯰が捕まりそうだ。さあもう一度、最初から読み直そう…。

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(阿部 未知世 様)
村尚也『伝統芸能ことば蔵一〇〇』を読んで

読み進めるのに時間がかかる本であった。それは難解というのではなく、本書に取り上げられていることばの数々が単に読み飛ばせる程度のものではなく、読み手の知的好奇心を否応なく喚起するものだったからだ。

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「ことば蔵一〇〇」とは、一〇〇個のことばではなく、きっかけとなることばの背後に蔵されている日本語の無尽蔵の文化世界といってもいいだろう。それらのことばの背景に触発され、ついつい辞書やスマホを片手に、しばしその場を外れて深掘りしてしまうのである。なかなか本文に返ってこれなかったのだ。

本書がいわゆる学術的に考証された事柄のみでなく、筆者自身が身を置く伝統芸能の日常の中から紡ぎ出され身に付いた事柄に依ることも大きな魅力である。踊りの門外漢である私にも、踊りというものの本質がうっすらと見えてくるような気持ちにさせてしまう。特に踊りがことばを得て、音楽のリズムと結びついて跳躍するとき、そこには、眼前には見えない世界がはっきりと立ち顕れてくる現象が腑に落ちた。このことは昨今のダンスを伴う音楽ユニットにも当てはまるといえよう。

例えば「40 『ブラック・スワン』から」では、チャイコフスキー『白鳥の湖』の有名な旋律が現れるシーンと曲想との違和感を、「皮相的で綺麗事に終始」した解釈で「全く自分らを語らなくなった」日本舞踊と引き比べて言い放つ。「名作の誉れ高い舞踊曲には隠されたメッセージが内包されている。それが時代を超えられた力なのだ。」と。

そして「2 世阿弥が言った「初心」」では、「是非の初心」、「時々の初心」、「老後の初心を忘るべからず」とは、「自惚れ、慢心、失敗等々それを戒め、それを矯正しつつも、かつそれらをもそのまま再現できるようストックするという試み」だという。まさに研ぎ澄まされた自意識の極致である。

ステキな日本語たちのたくさん詰まった「ことば蔵」は小さな本ではあるが、読後にずっしり重く感じるのは私の気のせいではないだろう。

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(新町後見 様)
ことばをめぐる紙上での熱い舞踊

本書は、日本語に関する筆者の100編のエッセイを収録しています。私達にとって身近なことばたちがどれも見開き2ページの形で要領よく取り上げられており、肩ひじ張らず気軽に読める内容となっています。

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筆者の文体はあくまでも軽やかでのびやかです。それでいて、文章からはそれぞれのことばについて、筆者が入念に調査し、粘り強く考察を深めてきたことが伝わります。

筆者は本書の「あとがき」で次のように記しています。能狂言、歌舞伎、文楽も「その舞踊は「言葉」を舞うことが多い」のであり、「伝統芸能を知るには「日本語」から!!そして深みにはまった言葉に対しての思索、試作がこの本といったところです。」

これを読むと、日本舞踊家である筆者には、どうしてもこの本を書かなければならない必然性があったのだと納得させられます。日本語の「深みにはまった」筆者だからこそ、これほど深くて豊かなことばへの探求ができたのでしょう。

「日本のことばそのものは本来、音楽的であったのかもしれない」のに、「現代語自体がそもそも抑揚やリズム等の音楽性をあえて排除したものではなかったか」(23頁)と、筆者は日本語について考えています。

また日本舞踊については、現代では「解釈があまりに皮相的で綺麗事に終始しているものが多い」が、「名作の誉れ高い舞踊曲には隠されたメッセージが内包されている。それが時代を超えられた力なのだ」(91頁)と指摘しています。さらに、「日本舞踊に今だからこそ再び日本を発見する舞踊を作ろうとする気運が起きてもおかしくないのではなかろうか」(131頁)と、日本舞踊についての課題提起も行います。

標準語が失った日本語の躍動感や音楽性を日本舞踊の中に回復させること、それによって日本舞踊が本来内包している力を再び発現させたい―日本舞踊家としての筆者の切実な願いとひたむきな情熱が生み出したことばの本、それが本書のような気がします。

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(ひでまる 様)

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