商品詳細

謹訳 世阿弥能楽集(上)

著者/出演者 林望(著)
出版 檜書店
判型 四六判
ページ数 252
在庫 有り
価格 1,980円(本体1,800円 + 消費税180円)

物販商品

商品説明

「言葉が織りなす世阿弥の世界へようこそ!」

NHK教育テレビ「にっぽんの芸能」の司会を4年務められた女優・石田ひかりさんも推薦!
「ありがとうございます、リンボウ先生!この本は私の鑑賞のパートナー。能楽堂でお会いしましょう。」(帯コメントより)

リンボウ先生でお馴染みの林望氏が、和歌、掛詞が盛り込まれた能の作品を分かりやすく現代語に。
氏の『源氏物語』『平家物語』に続く待望の世阿弥作品の謹訳です。

〔収録曲〕
敦盛/蟻通/井筒/江口/老松/姨捨/砧/清経/恋重荷/西行桜/桜川/須磨源氏/関寺小町/高砂/忠度/融/難波/錦木/鵺/花筐/班女/松浦佐用姫/屋島/山姥/養老

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レビュー

林望謹訳『世阿弥能楽集 上』を読んで-登場人物が躍動する筆づかい

本書は、作家、国文学者、書誌学者である著者の面目躍如たる現代語訳である。だが単なる逐語的な現代語訳ではない。複雑な構造を持っている古典語の詞章を現代日本語で格調高く、登場人物の息遣いを読者の眼前に顕ち現れさせるものである。シテとワキの絡みのみならず、地謡の単なる風景や心情描写を越えた重層的な絡みが舞台を当時の現実に引き戻すのである。

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例えば、『融』の塩竃の浦に対する執着が、『井筒』の有常女の業平に対する憧憬が、和漢の典故を巧みに用いて描かれている。原文の詞章では、掛詞や縁語など数々の表現技巧がこれでもかというほど、室町幕府3代将軍足利義満によって当時最高の教育を施された世阿弥の教養の深さを恰もひけらかすかのように駆使されているが、現代の読者には最早伝わらない。本書では、そんな世阿弥のことばの技の数々を読者がそのまま本文を読むだけで理解できる表記の工夫が随処に見られるのである。

典拠の出典の詳細を註釈として記す類書が一般的ではあるが、筆者が「通読の興味を殺ぐ」として思い切って消除せしめた勇気は賞賛に値する。古典に依拠して曲が成り立っているのではなく、古典は世阿弥の創りだした新しい物語世界を構成するパズルの一片だということを私たちに知らしめてくれるものといえよう。「謹訳」と名付けた著者の世阿弥に対する深い敬愛の情が感じ取れる。

それにしても、世阿弥の作にはかくも死者を弔うことの多いことか。『清経』の情念、『砧』の怨恨、「不条理」。なんと「死が身近な世界」が描かれているのだろう。しかし、それは何も遠い世界の話ではない。それは、このコロナ禍中で我々が思い知った真実でもあるだろう。恋しい人に思いを伝えられず死んでいった多くの人々の「無念」の一語がこれらの人々を再びこの世に立ち返らせる。

世阿弥の能は「鎮魂と再生、平和への祈り」でもある。本書で私は一層能が好きになった。下巻の刊行が待ち遠しい。

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(新町後見 様)
『謹訳 世阿弥能楽集(上)』を読んで

能に興味を持ち始め、能を「分かりたい」と思い、入門書や解説本、インターネットの情報、はては高校時代の教科書を引っ張り出して読み返しても、字面をなぞるだけで腑に落ちません。5年前から謡と仕舞を習い、お金が許せば観能に行きますが、能が「分からない」もどかしさは心の底に留まり続けています。

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そんな私が本書を読んでまず感じたのは、文章が謡のように語りかけてきたことです。既習の曲は節回しを思い出しながら、未習の曲はそれらしい節をあてがってゴニョゴニョつぶやき、節がうまく乗ればほくそ笑む。ささやかな一人遊びです。

次に、曲の内容が分かりやすかったこと。登場人物の心情がぐっと身近に感じられ、花の香りや波の音、幽霊がかき消える時の空気の湿度まで伝わるような感覚は、原文の雰囲気を味わうことができた証だと思いました。

また、収録曲を読み進めていく内に、頻出する和歌や漢詩があることに気がつきました。これらの詩歌は、優美な風情を象徴するものとして長く人々に親しまれたのだろうと思われて、謡曲の理解が少し深まりました。

そして、一番強く感じたのは、詩歌や掛詞等を組み込んだ言葉の重層が生み出す能の世界の深遠さ。言葉の連鎖によって物語が展開するありさまは、世阿弥が言葉の奥に仕掛けた迷宮のごとき幻影を目の当たりにした心地がして、おののきにも似た驚きを感じました。特に「桜川」のクセの部分は、まるで地層の一つ一つを精査する地質学者が、地球誕生の秘密を解き明かす時のような高揚感を覚えました。

本書は単なる解説本や訳本ではありません。まさしく「謹んで訳」した本、能を「分かった!」と思える快感にぐっと迫ることができる本でした。

最後に、本書には私の好きな紐の栞が付いていて、小さな幸運がうれしかったことを申し添えます。ありがとうございました。

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(土井陽子 様)
『謹訳 世阿弥能楽集(上)』を読んで

この本を手に取る読者の動機は何であろうか。能楽の鑑賞で、詞章の意味をリアルタイムに理解しながら見ている人は少ないであろう。観客の多くがシテの先生の弟子筋で、ざっくりと筋は把握して、習った謡を頭で追いながら、能楽堂の幽玄な雰囲気を楽しんでいるといった感じではないだろうか。

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またそれでも能楽鑑賞は十分に楽しめるものではあるにはあるが、やはり言葉の意味や筋の流れをを知っておきたいのが人情である。

能楽の詞章をすべて意味を知りたいという際には、『謡曲大観』という名著があるが、昨今は図書館でも書庫に入っているような感じで、すべて訳してあるような書物は少ない。近年、若い能楽師の先生方が事前講座など企画して大まかな筋とか演出を解説してくれるのは有難いが、如何せん時間が限られていることなどもあり、見慣れている者には少し物足りない感じが否めない。より深い理解を得たいと思っていたところに、この本の出版を知った。

この本は最初、単純な能の詞章を訳したものかと手に取ったが、単なるそれでは無かった。読んでいるとまるで能を見ているがごとく引き込まれていく。能楽堂にいるような感覚を越えて、能の中に自分がいるようである。なまじ動画などで能楽を楽しむより、より豊かな気分になれる。

詞章の意味を能楽鑑賞の前に把握して能楽堂に行くという目的には勿論ぴったりだが、昔見た番組や、習ったお謡の全体はどうなっているかなどを改めて見直すためにこの本を読むのも楽しいと思われる。

能楽の楽しみ方は人それぞれ、脳内で組み立てながら能の世界を楽しんでいるわけで、その骨組みとするにはもってこいの本だと思った。続編が楽しみである。

 

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(蘭陵王 様)

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